浅草 酉の市

落し咄し酉のまち

今回は天保7年(1836)に刊行された初代林屋正蔵師匠の著作になる落語集「おとしばなし年中行事」の中から「11月酉のまち」を三酉亭千鳥足師匠に口演していただきましょう。

えーぇ、本日はようこそのお運びで、、、毎度ばかばかしいお咄しでございますが、、、どうぞひとつお付き合いのほどを。。。
さても、毎年この節は立つ鳥、来る鳥、悲喜こもごもでございますな。ト言うわけでもないんでござんしょうが、酉の町の鳥尽くしを演っておくれとお声がかかりましてね。酉の町って申しましたら霜月11月が相場と決まってますよ、あなた。そう申し上げたんですよ。そしましたらね、昔は3月にも開帳したってんですから。江戸の3月はこの節の4月じゃありませんか、まして、ね、気を取り直してよーく思案してみたら、こちらの席亭さん、のべつ幕無し、年がら年中酉の市お演りなすってんでしょ、有り難くお受けいたしましたよ。

【出典:続日本随筆大成別館12 民間風俗年中行事 吉川弘文館】
ちょっと絵が見ずらいのですが、花魁の衣装の紋は千鳥で文様は鳳凰です。「鳳凰の籠のうしろに鷲の宮」(121丙22)と川柳にあるように花魁を鳳凰にたとえていました。これは「酉の市にかこつけてお目当ては吉原詣で」を詠んだものです。

十一月酉のまち

浅草の鳥ごえ明神の鳥居前に、鳥飼屋鳥右衛門といふ富家の息子に、 鳥之介とて古今の鳥好き、今日は霜月の初の酉の日ゆゑ、鷲大明神へ参詣して、帰り足に吉原の仲の町、若鶴屋の見世先門口から

鳥之介

「どふだ此の頃は」

女房

「これはこれは鳥さん、今日は初酉ゆへ、大方お立寄りは有らうと存じて心まちをしておりました。
マアマアこちらへ、これとりやとりや(注1)、お茶をお上げ申しな。もし旦那へ、今日の私が拵え(こしらえ)を御覧じて下さりませ」

鳥之介

「上着が山鳩ねずみの縮緬、紋が雁がね、下着が鶯茶、中形の縮緬、帯が烏羽繻子とは有りがてへ」

女房

「あなたのお気に合ふ鳥好きの大夫(たゆう)が昨日ひろめをいたしました」

鳥之介

「それは妙だの、呼んでくんねへな」

女房

「これ鳥助や、鳥好きの大夫さんを、さう言いな。マアおさかづき一つ召し上がりまし。お肴を早くよ」

といふうちに表へ来たる黒出(いで)たちの大夫芸者

勘左衛門

「ヘイこれは旦那さま初めてのお目見得。からす勘左衛門と申しまする。これから細く永く御贔屓(ごひいき)をお願い申しあげまする」

鳥之介

「お前も鳥好きだね」

勘左衛門

「左様にござります」

女房

「お前のひたいに瘤が出来たがどうぞおしかへ」

勘左衛門

「おかみさんへ、お聞きなさいまし今鶴屋の裏を通ると、土蔵の修復で、左官が才取棒(さいとりぼう)(注2)で下から土を出してゐました、その左官の土が日傭(ひよう)取り(注3)の顔にへかかりますと、サア料簡しませぬ。争ひとなるところへ私が通りまして、才取りと日傭取りの中人(なかうど)が鳥好きの私、とたんの拍子に才取棒が当たって瘤が出来ました、粗(あら)々瘤の因縁かくの通りでござります」

勘左衛門

「鳥と言えば、私が近付きの人が、雉町へ見世を出しましたが、家内が残らず鳥好きさ」

勘左衛門

「まづ、売り物が、鶯菜飯(なめし)も古いからと、ほととぎす菜飯と言ふを出しました」

鳥之介

「ほととぎす菜飯はいいね」

勘左衛門

「いいへ、てっぺんから掛け(注4)になりました。そこで今度は鳶(とんぴ)麦飯(むぎめし)と言ふを始めました」

女房

「鳶麦飯とはへ」

勘左衛門

とろろ(注5)で食わせると言ふ心さ、肴は茄子のしぎ焼き、はまぐりの千鳥焼き、かつをの雉子(きじ)焼き味噌さざい、酒は本所一つ目酒屋の鳳(おおとり)、女房が三十二三だか、ちとふけてちょつと見ると四十雀(から)、母親がとりあげて親父が料理番の手間とりさ」

鳥之介

「それは本のことかへ」

勘左衛門

「残らずうそでござります」

注1)
とりやとりや:どりゃどりゃ
相手を促したり、自らを鼓舞するときに用いる語。どれ。さあ。
注2)
さいとり
イ)才取:左官の弟子で壁土や漆喰を才取棒(先端に容器を取り付けた棒)に載せ、足場の上にいる左官に差し出す者。
ロ)刺捕、刺鳥:さしとりの転。先端に鳥もちを塗った竿を用いて、鳥を捕まえること。また、それを生業とする人。とりさし。
【出典:角川古語大辞典】
注3)
日傭取り:日雇い人足
注4)
てっぺんから掛け:ホトトギスがキョキョキョと鳴く声を俗に「てっぺんかけたか」と言い表す。
注5)
とろろ:トンビの鳴き声「ぴーひょろろ}に掛ける。

初代林屋正蔵とは:

現在までも続く落語家の名跡林家正蔵(四代目までの亭号は林屋)の初代。天保13年(1842)6月63才で没。怪談噺を得意とし今ではその祖と称せられる。両国で自前の席亭を経営し、咄本、滑稽本などを著作し、狂歌や浄瑠璃語りにも巧みであったといわれる。

千鳥足師匠の熱演、いかがでした。
咄し創りの名手正蔵師匠といえどもシリーズ12作となれば上手の手から筆が滑ることもありましょう。もしや、この11月は?文字を追うとちっとも面白くありません。口演はやっぱり聞くもの、見るもの、ですよ。

サイト紹介

番号 テーマ 掲載日
第六話 新吉原と酉の市 2003.11.07
第五話 落し咄し酉のまち 2003.04.04
第四話 流行つくった酉街道 2003.02.01
第三話 開運招福の熊手揃へ 2003.01.06
第二話 忠臣蔵後日談in酉の寺長國寺 2002.12.12
第一話 吉原通いと三の酉 2002.10.28
ページトップへ