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浅草酉の市は、長國寺に安置される「鷲妙見大菩薩」(わしみょうけんだいぼさつ)のご開帳日に立つ門前市から始まりました。
酉の寺・長國寺では、寛永7年(1630年)の開山当時から、11月酉の日には大本山鷲山寺(じゅせんじ-千葉県茂原市)の鎮守である鷲妙見大菩薩(鷲大明神)の出開帳(でがいちょう)が行われていました。
 
明和8年(1771年)に長國寺第13世・日玄(にちげん)上人によって、その鷲大明神は千葉の鷲山寺から浅草の長國寺に勧請されます。
そして、親しみを込めて「おとりさま」と尊称されるようになり、11月酉の日のご開帳日に立つ市も一層賑わいました。

鷲大明神が安置された番神堂(ばんじんどう)は、以後「鷲大明神の社」とか、「鷲の宮」と呼ばれるようになったのです。

七曜の冠をいただき宝剣をかざして鷲の背に立つ鷲妙見大菩薩(おとりさま)
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江戸時代、特に人気となった3個所の酉の市の鷲大明神とは、浅草長國寺の酉の市(新の酉)では、鷲の背に乗った妙見菩薩(破軍星)です。江戸酉の市の発祥とされる花又村(本の酉、現在の花畑に在る大鷲神社)の鷲大明神は、鷲の背に乗ったお釈迦さまと言われました。又、中の酉と呼ばれた千住勝専寺の鷲大明神も、徳川家光から拝領の鷲の背に乗る釈迦仏として、今に伝わっています。
このように本の酉、中の酉、新の酉の各々の鷲大明神は、本社、分社としてではなく、それぞれが酉の市を開いていたのです。

江戸名所図会に描かれた花又の鷲大明神

賑わいの様子がわかる、東都歳事記での浅草の鷲大明神

浅草たんぼの中に隣り合う
長國寺と新吉原


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江戸の中頃より、浅草の酉の市は、東隣に新吉原を控えていたことや花又での賭博禁止によって、花又村の酉の市よりも、賑わいを増していきました。

そして、大判小判、おかめの面などを飾った「縁起熊手」もより大きく華やかになり、それらは、財をかき込み、福をかき込もうと、商売繁盛を願う人々に、益々もてはやされることになります。また、お客をかき込むという縁起をかついで、愛らしいかんざし熊手が吉原などで人気となって、縁起物の熊手は多種多様になりました。


おかめのついた標準的な大熊手やかんざし熊手

当り矢、樽酒、千両箱を詰め込んだ役者好みの大熊手、おかめは無し

一方、長國寺では縁起熊手とは別に、開運招福のお守りとして、たわわに実る稲穂を付けた、小さな竹の熊手「かっこめ熊手守り」を授与していました。このお守りは、今も市の日に限り、酉の寺長國寺から授与されています。 熊手を頭や襟に指せば強運を引き寄せると信じられ、挿し絵にも描かれました

江戸から三里にある花又村(現在足立区花畑)の鷲大明神(本の酉)は、格好の日帰り行楽地でした。綾瀬川を船で上る者、馬や徒歩で行く者など引きも切らず、11月酉の日には日頃さびしい村が都のようだといわれました。

ここでの呼び物は、社前での辻賭博で、川を行く屋根船でも開帳されたようです。しかし、安永5年(1776年)に禁止令が出ると、市の賑わいは浅草長國寺の、酉の市へと移ってゆきます。

市の名物には熊手のほか、笹竹に通した「頭の芋」や、「黄金餅」が人気と見え、数々の錦絵に当時の美人とともに登場しています。また一時期、青竹の茶筅に今戸焼の土人形なども土産として存在したようで、随筆と挿し絵が、今に伝わっています。


茶筅と今土焼きの土人形の裃雛(かみしもびな)


霜月酉の町/
笹枝に通した頭の芋

霜月酉の町/
布に包んだ黄金餅

霜月酉の町/
おかめの付いた大熊手

町人文化が華ひらいた江戸時代に、この酉の市の盛況ぶりは文芸の格好の主題ともなりました。芭蕉の弟子其角に「春をまつ 事のはじめや 酉の市」と詠まれたり、辻賭博や新吉原と関連させた川柳なども多数残っています。

長國寺の東隣に位置する、その新吉原も市の日に限り、大門以外の門も開放して祭りの賑わいに華を添えました。

また、錦絵などにもたびたび描かれ、広重の描いた江戸のガイドブックとも言える『絵本江戸土産』(第六編)には「浅草酉の町」と題して浅草たんぼから眺めた酉の市が紹介されています。


酉の市は多くの随筆や図会に登場しました。

そこには たんぼの中を鷲大明神に参詣する群衆を描いた絵とともに、「浅草大音寺前に在り日蓮宗長國寺に安置したまふ鷲大明神と世にはいへど、実は破軍星を祀りしなりとぞ、十一月の酉の日には参詣の諸人群衆なし、熊手と唐の芋をひさぐを当社の例いとす。」との文章が添えられており、当時の長國寺の賑わいと鷲大明神(鷲妙見大菩薩)への人々の厚い信仰が伺えます。


浅草酉の町
(図の右上にある言葉が右の添え文です)

添え文

明治時代になり、新政府が出した「神仏分離令」によって、浅草酉の市は、酉の寺・長國寺と、鷲神社とがそれぞれに開催するようになりました。以来現在まで、江戸の頃と変わらない粋な賑わいを見せています。

このように江戸文化の一翼を担った浅草酉の寺・長國寺の酉の市は、江戸時代からの伝統と文化をそのまま今に受け継いで、参詣者に小さな江戸を体現させてくれるのです。

 

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