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酉の市には鷲大明神の東隣にあった新吉原では、通常開けない大門以外の門を開いて遊客を呼び入れたといわれます。それは酉の市への参詣が新吉原に繰り出す格好の言い訳ともなって、鷲大明神と新吉原にはまさにタイアップの関係が成立したのです。
今回は霜月酉の日に見る新吉原の一日を前後二回にわけてご紹介します。

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酉の日の鷲大明神と新吉原の関連をご紹介する前にまず右の切絵図をご覧ください。両者は浅草寺の北に広がる田圃の中にぽつんと隣り合っていたのです。
右上の赤い部分が酉の寺長國寺の鷲大明神
左側の四角に囲まれたところが新吉原
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下の図は新吉原郭内(江戸後期)ですがご覧になって解るように周りをお歯黒ドブと呼ばれた堀で囲まれていました。日頃の郭内への出入りは唯一大門が使われ、非常時にだけこの堀にはね橋を掛けて出入りしたのです。

上の絵はこの視点から遊廓の西河岸を描いたものです。遠方に小高く見えるのは日本堤の土手で、右側には妓楼が軒を連ねお歯黒ドブで囲われている様が良くわかります。

切絵図でも解るように、酉の寺は田圃(たんぼ)を挟んで吉原とお隣同士でした。鷲大明神参拝のあとに鳳凰か、花魁にお目見えついでにおとりさまか、いずれにしろ酉の寺から大門までは大周りをしなくてはなりません。「目と鼻に見えてるのに、何とかならないのかい」御尤も。

酉の市での吉原通り抜けがいつごろ始まったのかよく解りませんが、天保の末(1843年頃)刊行された柳花通誌によれば、「西河岸の門開きて見物はなはだし、常には一方口にて通り抜けならず。」また、「昔は遊女残らず参詣させて、この里の物日とせし事郭の記にありという。郭中の賑わい常にことなれり。」とあります。時代は下って、明治30年発行の風俗画報にも「酉の市の日には吉原遊廓の諸門を開き、遊女を参詣せしめ客を引くの手段をなすことなり。さてもさても商売には抜け目なきものかな。」との記事が見えます。
酉の寺と同じご町内(龍泉寺町)に住んだ樋口一葉は、たけくらべの中で酉の日の廓内への出入りについて、南無や大鳥大明神の賑わいとともに「・・・・・大鳥神社の賑わいすさまじく、ここをかこつけに検査場の門より乱れ入る若者.....角町京町所々のはね橋より・・・・・」「美登利さんは揚屋町のはね橋から入って行った・・・・・」と述べ、このはね橋わきにある番小屋の番人の子供をも子細に描写しています。ちなみに橋は遊女の逃亡を防ぐため通常はね上げてあり、郭の内側からしか渡すことが出来ないようになっていたようです。
このように明治になると酉の市には多くの通用門が開かれ、老いも若きも男も女も吉原遊廓の通り抜けを酉の市でのお目当てにしていたのです。余談ですが筆者の隣家の70歳程になられる夫人が、幼少の頃親に手を引かれておとりさまに参詣し、吉原を通り抜ける時はいつもドキドキしたと話してくれました。


「東都歳事記」部分
万延元年(1860)の11月8日、紀州藩の単身赴任武士、酒井伴四郎が酉の市に参詣した様子を日記に残しています。やはり吉原見物がありますが、9月に火事を起こしていたのでその表現は「鷲大明神え参詣仕候処はなはだしき参詣群衆・・・・・夫ヨリ吉原の焼ケ跡見物に参り候ハバ大分仮店も出来店付杯も有之賑ハし・・・・・」といともあっさりしています。
浅黄裏: 浅葱色の木綿地の裏地を付けた着物。田舎侍が良く着用したため遊里などで田舎侍を卑下して使われた。ヤボな客。
鳳凰: 想像上の瑞兆の鳥。遊里では花魁を鳳凰にたとえた。

酉の祭りの日が吉原にとっても書き入れ時だったことは間違いありません。客が大入りの時、遊女は馴染みが重なると代役を送ったり、悪くすると客の前にだれも現れなかったりしたようですから、遊客も気に入った遊女に振られないため様々気を使ったと思われます。
当時吉原や料理屋などの女性に千客万来の縁起物として愛らしいかんざし熊手が人気でしたが、それを張見世の格子の間から差しだして遊女の歓心を引く事もあったのでしょう。渓斎英泉の錦絵が残っています。愛らしい縁起熊手は、遊女と遊客の恋の橋渡しともなったのです。

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かんざし熊手(おかめ付きとそうでないもの)2本を差し出される遊女
オリジナル「新吉原年中行事11月初雪酉の日」渓斎英泉
今年錦絵に見る熊手を復刻しました。酉の寺参道の熊手ミュージアムでご覧いただけます。
 

次回後編は酉の日の昼見世、遊廓二階からお送りします。
●主要参考資料
「江戸学事典」縮刷版 西山 松之助他 [編] 弘文堂 H6年2月
「日本風俗史事典」縮刷版 日本風俗史学会 [編] 弘文堂 H6年2月
「江戸東京学事典」 小木 新造他 [編] 三省堂 1987年12月
「江戸の庶民生活・行事事典」 渡辺 信一郎 [著] 東京堂出版 2000年7月
「武江年表」1・2 斉藤月岑[著] 金子光晴[校訂] 東洋文庫 1968年6.7月
「日本史年表・地図」 児玉 幸多 [編] 吉川弘文館 1995年4月
「江戸東京年表」 吉原健一郎 大濱徹也 [編] 小学館 1993年3月
「柳花通誌」花街風俗叢書
      江戸遊里風俗編
蘇武 緑郎 [編] 大鳳閣書房 S6年1月
「にごりえ・たけくらべ」 樋口 一葉 [著] 新潮文庫 S61年7月
「幕末下級武士単身赴任日記」 酒井 伴四郎 [著]
「江戸吉原図聚」 三谷 一馬 [著] 中公文庫 2001年2月
「浮世絵に見る江戸吉原」図録 たばこと塩の博物館[編] たばこと塩の博物館 H14年
「風俗画報」152号 山下 重民 [著] 東陽堂 M30年11月
 
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